宝珠寺の来歴

創立は観応元年(一三五〇)。初めは鎌倉の円覚寺派に属していましたが、江戸時代初期に妙心寺派となりました。
天正十八年十二月二十三日太閤秀吉公より寺領三十二石九斗五升御配分御判物を賜ります。 敬重七年十二月十六日徳川家康公より御寄付状を降下され、慶長八年九月御朱印状を賜りました。 (朱印状は初代〜五代・八代〜十四代を有す)
嘉永七年十一月四日の大地震により、本堂・庫裏・開山堂・書院・釈迦堂・鎮守堂・鐘楼・塔頭・中門・総門等、 妙心寺派遠州六ヶ寺に数えられていた名刹は全て灰燼に帰し、 安政のころより復興に努め現在に至ります。

豊人秀吉の朱印状

当寺は宝珠寺領を安堵する朱印状を有しています。
写真は豊臣秀吉公より下賜された朱印状です。
内容は、「寺領として三十二石九斗五升(常住分二十石・智雲斎分六石九斗五升・桂峰院分六石)を安堵し、 諸役を免除する」というものです。
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遠江国豊田郡岡田郷寶珠寺領事
一、弐拾石  常住
一、六石九斗五升  智雲斎
一、六石  桂峰院
以上
右、宝禄嶋寮舎・門前在家・居屋敷、任員数検地之上、
以高頭、合参拾弐石九斗五升事令配分、全可寺納、并諸
役令免除候也
天正十八年十二月廿六日

宝珠寺の言い伝え

本堂

浜松市頭陀寺に城を構えた土豪松下某か曳馬の松下長則(松下一族の実力者)が、 宝珠寺住持と碁を打つために来たとき、 待つ間、日吉丸(後の豊臣秀吉)が宝珠寺本堂の廊下で寝ていたという言い伝えが残っています。 (信長に仕える前三年ほど浜松に居たということです)

宝珠寺の年中行事

■涅槃会 (二月十五日)

涅槃会とは、お釈迦様がお亡くなりになった日です。
「涅槃図」を公開いたします。

■花祭り (四月第二日曜ごろ)

花祭りとはお釈迦さまの誕生会です。花見堂に花を飾り、甘茶を掛けてお祝いします。 花祭りの後にはイベントを開催いたします。
(落語会や講演会を行う予定です)

■山門施餓鬼 (八月十二日)

施餓鬼とは、盂蘭盆教による由来により行われる法要です。餓鬼道に落ちた魂を救うために行われます。

■地蔵盆 (八月二十四日)

地蔵盆とは子供の幸せを願って行われる行事です。

■動物慰霊観音慰霊祭・永代供養祭 (秋分の日)

動物を慰霊する法要と、永代供養塔に入られた方を回向する法要を行います。

■成道会 (十二月八日)

お釈迦様が悟りを開いた(心理を見極めた)日です。

涅槃図

毎年、涅槃会には「涅槃図」や「十六羅漢図」を公開いたしております。 写真は「涅槃図」の一部です。お釈迦さまの枕もとには弟子やありとあらゆる動物たちが集まり、 お釈迦さまの死を悲しんだと言われています。
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